映画『チョコレートドーナツ』感想 もちろんネタバレ
正直に言えば、私は、自分の人間性について、あまり不満に思ったことは無い。なぜかと考えてみて、根底に
『人間なんて、みんなこんなものだろう』
という気持ちがあるからだ。
利己的であろうが、臆病であろうが別にかまわない。
人間だもの。
でも、この映画の主人公二人は、良い人間だといえる。
ストーリーは、簡単に言ってしまえば、ゲイの中年男性二人が、知的障害のある少年を養育しようとするが、世間の偏見の壁が立ちはだかるというものだ。
ありがちな感動物語だと思うだろう。
実際、ありふれている。
物語にそれほどひねりはなく、ごくストレート。
ただ、この映画のすごいところは、それが白々しくならないところだ。
いつもなら「こんな奴いないだろ!」となるところでも、「こういう人間もいるのかもしれないな」と思わせてくれる説得力がある。
それが脚本の力によるものなのか、俳優たちの力によるものなのかはよくわからない。
主人公のルディは、女装趣味のショーダンサー。
ゲイを隠して生きる弁護士のポール。
ダウン症の少年、マルコ。
重要な登場人物はこの3人だ。
そして3人とも、とても立派。
ルディは自分の立ち位置を守るために、戦い続けるオカマだ。
といっても、やたらと好戦的なわけではなく、自分の誇りを守るために戦う。
彼女は愛情深く母性愛の塊といえる。
ポールはとても誠実で男らしい。
ルディと違って、情緒がとても安定している。
ゲイであることを隠してはいるけれど。
マルコはひどい母親に養育されていた少年。
知的障害があり、夜寝る前に物語を聞くのを楽しみにしている。
必ずハッピーエンドになる物語を。
欧米の映画でもドラマでも、こういうはなしの場合、物語にリアリティを持たせるために、登場人物たちの欠点を出してくることが多い。
卑怯だったり、臆病だったり、短気だったり、身勝手だったり、何かを隠していたりだ。
そして3人は感情をぶつけて傷つけあい、和解したり、しなかったりする。
たとえそれが、同性愛者でも、障碍者でも、別に立派な人間である必要はないのだと主張する。
私は外国の物語のそういう所が好きだが、この映画にそういう描写はなかった。
それでも嘘くさいとは思えない。
なぜか。
映画の前半部分を観ている時点では、なぜルディとポールがマルコを引き取って育てたがるのか、ちょっとよく分らなかった。
同情なのか。
一緒にいることによって、ペットのように愛着がわいたのか。
でも最後まで見て分かった。
彼らは疑似家族だったのだ。
一般的な社会から外れてはいるが、ちゃんとした真っ直ぐな心を持った3人が、運命の偶然にも家族を作った。
それは温かくて、清潔で、居心地の良い家族で。
3人はもう寂しくなくなった。
幸せだったから、離れたくなかった。
離れないために戦った。
それだけだ。
とてもストレートで強い気持ちが中心にあって、それがこの映画を説得力のあるものにしている。
ラスト、この物語はハッピーエンドにはならなかった。
あんなにハッピーエンドが語られるのを望んでいた少年の物語は、ハッピーエンドにはならなかったのだ。
私はそれを思うと、とても残念だし、悔しい気持ちになる。
人気ブログランキングに参加しています。ご協力いただける方は、下のバナーのクリックをお願いします!